三田

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震災当時に広報課長だった東部貢さん=三田市三輪2
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震災当時に広報課長だった東部貢さん=三田市三輪2
市民に支援状況などを知らせた広報紙「震災救援情報」
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市民に支援状況などを知らせた広報紙「震災救援情報」

 阪神?淡路大震災の発生から17日で25年となる。兵庫県三田市は比較的被害が小さかったが、住民たちはおのずと考えた。自分に何かできないか-。災害時に近隣自治体は何ができるのか。被災地となった神戸、西宮、宝塚市と隣接する三田市では初期の職員派遣、物資搬送だけでなく、大規模な仮設住宅や復興住宅もできて、市民らがまちぐるみで被災者を支えてきた。支援に携わった人々に聞いた。

■元三田市広報広聴課長?東部貢さん

 -震災が起きた5日後から「震災救援情報」と題した市の広報紙を発行した。

 「携帯電話やインターネットが普及していない時代でした。新聞配達も震災翌日から数日間ストップして、市内でも何が起きているのかほとんど分かりません。最初は市民に市内の状況を知らせようと作ったのが広報紙の震災臨時号です。5日後から新聞の折込に入れてもらいました」

 「地震があった17日は隣人の安否を確認してすぐに市役所に向かいました。庁舎は2、3階の窓ガラスが割れた程度。市内の建物も大きな被害はなくて、確認が一段落した夕方ごろ、塔下真次市長=当時=から電話があったんです。『ありったけの毛布を市役所に集めて神戸と阪神間に持って行け!』と。そこから市を挙げた救援物資搬送が始まったんです」

 「まず電気や水道、ガスが止まって物が足りないと聞きました。そこで三田の市民に伝えて被災地への支援につなげよう、と考えたんです。臨時広報紙には、被災地に送った救援物資の種類と数をすべて細かく載せました。おにぎりやパン、カイロ、タオル、水、プロパンガス…。市民の力は大きいです。想像をはるかに超えるたくさんの人や企業の協力がありました」

 -1月22日号には、被災地を訪れた市民の声も取り上げた。

 「親を助けに神戸に行った男性は『毛布を抱えて黙々と行き交う被災者は爆撃を受けた跡のようだった』と言うんです。緊急物資の搬送に当たった市の職員は『車が渋滞で動けない。理由があるにしろ、一般の人は冷静に動いてほしい』と語りました。焦りと憤慨、祈りを込めて『一刻も早い支援がいる』と。私たちも市民に伝えないといけない。そう強く感じました」

 「市内の福祉施設や仮設住宅などで被災者の受け入れが増えると、広報広聴課で取材に行きました。すごく感謝されましたね。避難所から移ってきた高齢男性は『三田は本当に安心』と手を握ってくれました。三田青年会議所が大型バスで送迎する入浴サービスをして、風呂に入った被災者たちがさっぱりした顔で『ありがとう』と言っていたのは今でも忘れません」

 -三田で大きな被害はなかったとはいえ、身内が被災したり、命を落としたりした人も多くいた。

 「市職員の2、3人に一人はいたんじゃないかな。何年も後に聞いたことですが、西宮に住んでいた当時の建設課長が震災で妻を亡くしていたと知りました。それでも、悲しい顔を見せずに部下に指示して懸命に被災地を支援していた。気持ちを察すると言葉になりません。ただ、自治体としては三田も災害があれば助けてもらうことがある。支援はお互いさまです」(山脇未菜美)

【三田の被災と救援物資】17日午前11時時点で、市内の被害は負傷者14人、家屋の一部破損63戸。市はすぐに隣接市の物資搬送業務に重点を置いた。1月末までに毛布2667枚、カイロ483箱、おにぎり8万5840個、パン4万5596個などを搬送。水は780トンが送られ、義援金も2743万円が寄せられた。ボランティアは734人、市職員は延べ1100人が出動した。

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